「嫌われる勇気」はフロイト、ユングと並び「心理学の3大巨頭」と称される、アドラー心理学を青年と哲人の対話形式で物語は進んでいきます。
「トラウマ」否定し、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と言い切り、「承認欲求の否定」と「課題の分離」を掲げ「どうしたら人は幸せになれるか」という問いにシンプルかつ具体的な”答え”を提示しています。
この本を読んで、あなたの人生は変わるのか?変わらないのか?
アドラーの答えを見ていきましょう。
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トラウマは存在しない、全ては目的論
トラウマは存在しない
アドラーは、原因論の住人である限り一歩も前に進めずに、人は変わる事ができないとしています。
見方を変えて「目的論」で物事を捉えます。
引きこもりの子供が部屋に閉じこもっているとします。
過去にトラウマ(原因)があったわけではなく、「目的」を考えます。
引きこもりの子供は、
「不安だから外に出られない」のではなく、「外に出たくないから、不安という感情を作り出してる」と考えます。
つまり、「外に出ない」という目的が先にあって、不安や恐怖という感情を作り出していると考えます。
これを「目的論」と呼びます。
あなたの不幸はあなたが選んだもの
もし今、あなたが幸せを実感できないのであれば、それは「あなたの手で不幸である事を選んだ」から、だと語られています。
山のように存在する悪を働く犯罪者にも「しかるべき理由」があり、当人にとってその「悪」は、当人にとっては「善」だと判断した結果です。
あなたが不幸なのは、どこかの段階で「不幸であることを」選択しているからであり、なにかしらの「しかるべき理由」をつけて「善」であると判断した結果が「不幸な現状」ということになります。
人は常に「変わらない」決心している
アドラー心理学では、性格や気質の事を「ライフスタイル」という言葉で説明しています。
あなたのライフスタイルは、自ら選んだものとし、先天的に与えられたものではなく、再び自ら選びなおせる事も可能と言います。
ですので、あなたが変われないのは「自ら変わらないと不断の決心をしている」からだと考えます。
人には現状を変えたくないという気持ちがあるので、不満があっても「現状維持」をする方が、楽で・安心なのです。
アドラー心理学は、「勇気の心理学」なので「幸せになる勇気」を持つことで幸せは近づいてきます。
人生は「いま、ここで」変わる
「もし、何々だったら」と可能性の中に生きている間は、変わる事はできません。
「もし、もっとイケメンなら…」、「もし、もう少し時間があったなら…」、「もし……」
最初にやるべきことは、「いまのライフスタイルをやめる」決心をする事です。
アドラーの目的論には、トラウマは存在しないので、「これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについては、何も影響しない」といっています。
あなたの人生を決めるのは「いま、ココ」に生きるあなた次第です。
全ての悩みは「対人関係の悩み」である
全ての悩みは「対人関係の悩み」である
あなたは他者から嫌われ、対人関係で傷つく事を恐れていませんか?
つまり、あなたの「目的」は「他者との人間関係で傷つかないこと」になっているのです。
アドラーは「すべての悩みは対人関係の悩み」と断言し、個人の内面の悩みなど存在しないとし、どんな悩みにも、「他者の影」が介在しているといいます。
自慢する人は劣等感を感じている
劣等感は主観的な思い込みで、客観的な事実ではないとし、あなたがどのような価値を与えるかで変わります。
18度の井戸水は、冬は暖かく感じ、夏には冷たく感じるものです。
「学歴がないから成功できない」という「劣等コンプレックス」が発展すると、「優越コンプレックス」が発動します。
劣等感が強く、出来ない事を受け入れられなくなると、自らが優れていることを誇示しようとする。そうでもしないと「こんな自分」を認めてくれないと恐れていると説きます。
その考えの別流として、「不幸自慢」をあげ、不幸であることで特別であろうとし、不幸であることで人の上に立とうとする人もいます。
健全な劣等感とは、他者との比較で生まれるのもではなく「理想の自分」との比較から生れるものとしています。
所詮、「あなたのの顔を気にしているのはあなただけ」です。
【最重要】承認欲求を否定して課題を分離しろ!
承認欲求を否定する
アドラー心理学では「誰かの期待を満たすために生きてはいけない」とし、他者の期待など満たす必要はないといいます。
他者からの承認を求め、他者からの評価ばかり気にしていると、最終的には他者の人生を送る生きることになります。
他者もまた「あなたの期待を満たすために生きていない」ので、あなたの思い通りに動いてくれなくても、怒ってはいけないと考えます。
課題の分離
課題の分離とは「他者の課題に踏み込まない事」です。
その選択によってもたらされる結果を、最終的に引き受けるのは誰か?を考えてみる事が必要です。
「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませる事は出来ない」
本人の意向を無視して「変わる事」を強要したところで、自分を変える事ができるのは自分しかいません。
自分の信じる最善を選ぶことが必要で、それについてどう評価を下すのかは他者の課題であって、あなたにはどうもできない話です。
社内の人間や上司から気に入られるのは、あなたが最優先で考える仕事ではありません。明らかに理不尽な理由で嫌っているとすれば、それは他者の課題で、こちらからすり寄る必要などないのです。
「これは誰の課題なのか?」を考え、「他者の考えには介入せず、自分の課題には誰も介入させない」ことが対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学の視点になります。
対人関係のゴールとは?
対人関係のゴールは「共同体感覚」
結論は「共同体感覚」
他者を仲間だとみなし、そこに自分の居場所がある事を感じる事を「共同体感覚」といい、幸福な対人関係の在り方を考える、最も重要な指標です。
共同体とは、「家族」であり「学校・会社」であり「世界」でもあります。
承認欲求を求め「他者からどう見られているか」を気にする生き方こそ、自分にしか関心を持たない「自己中心的」なライフスタイルです。
あなたは世界の中心に君臨しているのではなく、共同体の一員であり、全体の一部なのです。
勇気づけというアプローチ
「褒める」という行為には、「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面があり、上下関係を生み出します。子を「よくできたわね」と褒める母親の背後にも「相手を操作する目的」があります。
アドラー心理学では「縦の関係」を否定し、「横の関係」とすることを提唱しています。
同じでないけど対等です。
縦の関係を作らない為に「勉強しなさい」ではなく、「自分は勉強ができるのだ」と自信を持たせ、自らの力で自分の課題に立ち向かえるように援助します。こうした横の関係に基づく援助の事を「勇気づけ」と呼んでます。
相手を評価することなく、「ありがとう」と感謝することで横の関係が築けます。
「特別な存在」でありたい人が歩む2つの道 と 普通であることの勇気
人間は「優越性の追求」という欲求を持っています。
「向上したいと願う事」や「理想の状態を願う事」です。
最初の段階で「特別によくあろう」として上手くいかなかった場合、普通の状態から抜け出し「特別な存在」になるために「特別に悪くあろう」とします。(グレる子供を思い浮かべるとわかりやすいと思います)
これをアドラー心理学では「安直な優位性の追求」といいます。
アドラーは普通である事は無能なのではない、わざわざ自らの優位性など誇示する必要はないとしています。
無意味な人生に意味を与えよ
人生の意味となにか?人は何のために生きるのか?
この問いにアドラーはこう答えています。
「一般的な人生の意味はない、人生の意味はあなたが自分自身に与えるものだ」と。
たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きを失わなければ、迷う事はないし、何をしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。
自分が変われば「世界」が変わる。
世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、「わたし」によってしか変わりえない。
最期に
アドラー心理学を本当に理解して、生き方まで変わるようになるのは、それまで生きてきた人生の半分は必要と言われています。
つまり40歳の人は60歳!ですが、20歳の人は30歳と10年で変化を起こせます。つまり、若者は大人よりも前を歩いています。
2014年のヒット本ですが、久々に読み返してみたのでアウトプットもかねてまとめてみました。
D・カーネギーと比べてみると面白いですね。経営者にはカーネギー、労働者にはアドラーでしょうか?
私なりの解釈もありますが、「ここは違うな~」とかあれば教えて下さい。
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